熊田梨恵の独り言

ニュース解説・異論反論②出産事故の補償金制度

やっぱり変だった、出産事故の補償金制度

各社の報道によると、出産事故で重度の脳性まひの赤ちゃんが生まれた際に3000万円の補償金が支払われる「産科医療補償制度」について、多額の剰余資金が生じているとして、産科施設と母親らが掛け金の一部の2082万円の返還を求め、国民生活センターに対して裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てています。

 制度設計やお金の流れについて、「妊婦と赤ちゃんを盾にとり、厚労省の外郭団体にお金をプールする仕組みだ」と批判され、制度創設前から大揉めに揉めてきた制度ですが、やっぱり突っ込まれたと思いました。

産科医療補償制度・・・2009年開始。

脳性まひの赤ちゃんが生まれた場合、分娩機関は、制度を運営している財団法人「日本医療機能評価機構」に届け出る。一時金と20年間の補償金で総額3000万円が支払われる(最初に一時金として600万円、残り2400万円は子供が20歳になるまでの間、分割で支払われる)。機構によると、出産事故を巡る医療訴訟を回避し、速やかに当事者家族を救済することが目的。掛け金3万円は、出産育児一時金から産科施設を通じて同機構に支払われ、民間損害保険会社が管理している。出産から5年未満なら、補償金を請求できる。

つまり、生まれた赤ちゃんが脳性まひで、審査に通ったら家族は3000万円を受け取れるという制度です

 そもそも、なぜこんな制度ができたのでしょうか?

家族の医療・介護・生活費のため

妊娠・出産にはトラブルがつきものですから、妊娠経過は順調だったのに、原因不明で子どもが仮死状態で生まれてしまったり、産道で何かトラブルがあって赤ちゃんが障害を負ってしまうということが起こり得ます。すると、家族は脳性まひの赤ちゃんを自宅で医療ケアや介護をしながら育てていかねばならず、多額の医療・介護費用が必要になります。夫婦共働きだった場合、どちらかが仕事をやめねばならないこともあるでしょう。

 こうした生活費や医療費を得る手段として、これまでは訴訟を起こして賠償金を得る方法しかありませんでした。しかしその場合、医療機関による過失が認められなければ、賠償金は出ません。原因不明のトラブルが起こりやすい産科医療について、過失があったかなかったかを争っていては、時間も労力もかかり、迅速な救済にはつながらず、家族側の感情も慰撫されません。医療者側もベストを尽くして関わったのに、原因不明によるトラブルで訴訟を起こされていては、医療を続けられなくなります。海外ではこうした場合、医療機関の過失の有無を問わず、迅速に家族を救済する無過失補償制度が整備されています。

 日本でも無過失補償制度を求める声は以前からあり、厚労省でも検討されてきました。他の診療科にも広げることも視野に、まずはトラブルを抱えやすい産科から始めようとして検討を始めたのが、この「産科医療補償制度」だったのです。

 しかし、出来上がったのは海外で行われているような無過失補償制度とは別物の、やたら条件の多い救済制度でした。

3人に1人しか補償されない?

補償対象は、原則として妊娠33週以上、分娩中のトラブルが原因で脳性麻痺になった、出生体重2000グラム以上の子供です。医療や介護の必要性が高い身体障害者1、2級相当であることも条件です。28週以上なら個別審査もありますが、28週未満の早産児は対象になりません。また骨折や頭血腫など別の外傷や病気は対象になりません。先天性要因で発症する脳奇形や、18トリソミーなどの遺伝病も同様です。

 脳性麻痺の子供は年間2400人生まれると言われていますが、制度の対象になるのはこのうち500〜800人と推計されています。

 脳性まひの子どもが生まれても、ちょっと体重が多かったり、早産だったり、別の病気によるまひだったらダメということで、3人に1人しか補償されないのです。しかし、理由はどうあれ、家族の行う医療や介護による精神的、身体的、経済的負担は変わりません。こんなにあれこれ条件があるようでは、家族が救済される制度と言えるかどうか、疑問です。

事務費に45億円!!

分娩機関は、分娩1件当たり3万円を掛け金として機構に支払います。日本の年間出生数は約100万件ですから、総額約300億円になります。掛け金は、国が分娩機関に支払う出産育児一時金(出産にかかる費用を国がサポートするもので、健康保険に加入、または被扶養者で、妊娠4か月以上の出産の場合、子ども1人につき42万円が支給される)から払われます。つまり、このお金の出所は、私たちの保険料や税金です。

 機構は集めた保険料から約11億円を事務経費として取って、妊産婦登録やコールセンター運営、人件費やシステム開発費などに充て、その残りを保険会社に預けます。保険会社は、そこから約34億円を取って、システム構築費や人件費などに使います。つまり補償金に充てるためにプールされるお金は最初から85%程度に目減りしています。100万分娩のうち850人に補償できる金額ということになります。

 制度開始から2012年11月末までに414件が補償対象になりました。生まれてすぐに脳性麻痺という診断のつかないケースもあるため、出生後5年間は補償の申し立てができるようになっています。
5年経っても、補償の総額がプールした金額に満たなかった場合、余ったお金は保険会社(東京海上日動火災保険(幹事社)、損保ジャパン、日本興亜損保、あいおいニッセイ同和損保、三井住友海上)のものになります。ただし、年間の補償対象が800件に満たない場合は、実際に補償した分と800件の差額分が機構の取り分になります。最高で1 5 0億円になります。いまだに414件しか対象になっていないのを見ると、相当額が既に機構のポケットに入っていることが分かると思います。

 再度言いますが、この補償制度の掛け金の出所は、子どもを産むお母さんたちに支払われる出産育児一時金です。その一時金は、私たちの保険料と税金から成り立っています。そのお金が、機構に流れていっているのです。

 そう考えると、今回産科施設と母親らが機構に対して掛け金の一部返還を求めたのは非常にまっとうな話だと思います。母親の一人が会見で、「金の流れに疑問を感じる」、代理人の井上清成弁護士が「年間200億円以上の剰余金が出ると思われる。公費を支出している制度であり、見直されるべき」と発言したことは当然と感じます。

訴訟の防止になっていない?

加えて、この制度は訴訟回避が目的と言いながら、実はそうなり切れていないという問題があります。脳性麻痺児の訴訟による賠償金は一般的に約2億円と言われ、この制度による補償金の3000万円と、かなりの差があります。

 多くの先進国では無過失補償制度で家族が十分に救済されるだけの金額を補償しており、重ねて訴訟する必要がありませんし、できないようになっています。対して日本の場合、家族は訴訟しないと結局は十分な金額を得られませ
ん。このため、むしろ補償金を元手に訴訟を起こす家族が増えるのでないかと懸念されています。ちなみに家族側が、補償後の訴訟で勝った場合、補償金の3000万円は機構に返すことになっています。

 また機構の作る報告書は、訴訟になれば、医療機関の過失の有無を判定するための鑑定書の役割を果たすことが考えられます。費用の面からも、メンバーの面からも、この報告書を覆すだけの鑑定書を作成するのは至難の業だからです。つまり、訴訟で家族側が有利になるか、医療側が有利になるか、機構の作る報告書のさじ加減で変わってくるということです。

 機構によると、これまで補償された414件のうち、損害賠償請求が行われたのは23件(5.6%)で、うち4件が解決済みです。実際に訴訟は行われているというわけです。

 私は制度立ち上げの準備会合を当時取材をしていましたが、調査の中立性に影響を与えかねないとして、補償と原因分析、再発防止は別の組織で行うべきという意見は最後の最後まで出ていましたし、補償金が少なすぎるという意見もありました。「まずはやってみてから走りながら考えよう」という意見も多かったですが、こんな腰の重たい組織で、柔軟で臨機応変な制度改変なんて望めそうにないのになあと思っていました。機構は「世界的に見ても重装備」と自賛していますが、あれもこれもと手を出して、中途半端になってしまった感が否めません。訴訟の道は残され、補償対象に制限も多く、お金の流れが不透明に感じられます。だから、今回のように母親らからの返還請求が起こったわけです。

 当時の準備会合の関係者がぽろっともらした、「国民からは複雑で分かりにくい制度。妊婦と赤ちゃんを盾にとって、厚労省の天下り団体と保険会社にお金を入れるための仕組みが見事に出来上がった」という一言が忘れられません。