インタビュー

食べることを拒否する娘、「理解者なく心中すら考えた」―摂食嚥下障害の子どもを持つ親の思い(下)

食べることを拒否する娘、「理解者なく心中すら考えた」――摂食嚥下障害の子どもを持つ親の思い(下)

スナック菓子をかじった

転機は突然訪れた。娘は療護園に入院してからも変わらずシリンジで栄養剤を摂っていたが、看護師が交代で栄養を与えるためか、ストレスや嘔吐が少し減ったようだった。

ある日、娘が保育の時間に友達に誘われてスナック菓子を一緒にかじったという知らせを受けた。保育士が喜んで泣きながら病棟まで走って報告に来てくれたという。その後、発熱をきっかけに自ら水分を欲しがることもあった。

 また別の日、仲の良い小学生の男児が自分の食べていた物を「食べる?」と娘に聞くと娘は「うん」と言って、口に入れて噛んで飲み込んだ。初めて、娘が食べたのだ。「娘もその子が大好きだったようでした。大人がどんなに薦めても食べないのに、欲のない子どもだからよかったのでしょうか。子ども同士の関係の大切さを思い知りました」。このことをきっかけに、娘は食べ始めた。最初はペースト食だったが、固形物でも食べられる時もあった。迫田さんはこの頃、「ようやく私も少しは頑張ってきたのかな。ちょっとは自分のことを許してもいいのかなと思えるようになってきました」と、自分を責め続けた育児を落ち着いて振り返るようになった。療護園から一時帰宅した娘は、焼うどんを自分で食べ、上の子どもと乾杯しながら牛乳を飲んでいた。迫田さんには信じられない光景だった。

「食べたら終わり」じゃなかった

しかし、すべてが好転したわけではなかった。娘の様子を観察していると、迫田さんの存在が娘にとって大きなストレスになっていることを実感するようになった。程よい距離が必要だと考えるようになり、娘は保育園に入園。療護園にいる間に娘の様子をよく見に来てくれていた義理の両親が週末に娘を預かることを提案してくれたので、応じた。次第に娘の生活の拠点が義理の両親の方に移っていった。娘との距離がますます離れるようになると感じ、最初は娘に会いに行かなければと思っていたが、まずは迫田さん自身が自分の心と向き合うことを優先しようと思った。まず娘に対する義務感を捨てるため、会いに行かなければいけないと思うことをやめるように努めた。飲ませなければ、笑顔で接しなければと必死だった思いを捨てるのは簡単ではなかった。義母のところでも娘の様子は変わらなかったようで、義母から「本当に大変だったんだね」と言われ、救われた。

久しぶりに会った娘は自ら迫田さんに近づいてきたり、迫田さん自身も以前のように動悸が起きたりすることなく、手を差し出せるようになっていった。

新生児科医からは保育園の入園について「まだ3歳にもならない子どもに対して何を考えているのか。あなたは子どもを見る気がないんだ」と言われた。迫田さんは親子の葛藤をいくら話しても無理だと思い、新生児科の通院をやめることを決めた。

“近所のおばちゃん”で構わない

今も娘は迫田さんの義理の母と一緒に暮らしており、9歳になった。娘はたまに遊びに来るが、2,3日一緒に過ごすと関係がぎくしゃくしてくる。このため、今は離れて暮らすのがちょうどよいと迫田さんは感じている。

会の最後、迫田さんは語った。
「食べることが全ての解決ではなかったのです。食を最優先にしてきた結果、親子の関係を築いてきていないからです。娘は私の顔を見たら泣き叫ぶようになっていました。叱ると怯え、絶叫する娘の姿に、私も苦しくなってきてしまいました。このままでは娘にもよくないし、上下の子ども達のしつけにも関わってくると考えて、思い切りました。全てがダメになるのを避けたい一心でした。でも、本当は私自身が怯える娘の視線に耐えられなかったのだとも思います。手を差し出せばびくっとするように育ててしまったのは自分です。娘がいつもそこにいるということは、自分のやってきたことを見せつけられることなのです。娘を見るだけで苦しくて、娘と対峙することをやめて自分から逃げ出してしまったのです。これらのことを、親子なのにと思うと苦しくなります。だから娘には私のことを“近所のおばちゃん”とでも思ってもらっていたらいいと思います。その子はその子の人生を楽しく生きていきます。自分で食べて、自分で楽しく生きていくことを大事にして、育ってほしいと思っています。そしていつの日か、思いが伝われば」。

(おわり)

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