熊田梨恵の独り言

文藝春秋5月号に終末期医療の記事掲載

現在発売中の月刊「文藝春秋」5月号医療特集に「看取った家族が後悔すること」という記事を書いています。ぜひ、お手に取って頂けたら嬉しいです!

今回の記事を書くきっかけになったのは、取材で出会ったご家族の言葉でした。認知症によりコミュニケーション不通となった義母を病院で看取ったお嫁さんが「義母に延命治療をしないと、夫と二人で悩んで決めたけど、本当にそれでよかったのか後悔している」と話してくれたことです。私から見れば、そのお嫁さんはとても丁寧に介護を続けてきておられたし、義母の最期にも何も不自然な点はなく、老衰による自然な最期でした。「無理に延命をしない」という方針も、夫とよくよく話し合って決めておられました。それなのに「後悔している」と話されたので、逆に驚いたのです。これだけ真摯に介護をしていながら、なぜ後悔が残る? これが、取材のきっかけでした。

詳しくは記事をご覧いただきたいのですが、私がこの記事で一貫して主張しているのは「最期の医療・介護の希望について、家族など大切な人と共有しておくこと。そして、なぜそうしたいかという『理由』も必ず共有すること」です。

今、エンディングノートやリビングウィルなど生前意思を残すツールが様々出てきました。病院でも、最後の医療の希望を患者が記す「事前指示書」が広まりつつあります。しかし、それらはほぼ「形」だけ。例えば「胃ろうはしたくない」と本人が希望していても、「なぜ胃ろうをしたくないのか」が分からなければ、他の事態が発生した場合に家族や医療者も応用して考えたり、対応したりできません。例えば、「最期まで口で食べたいから」「胃ろうの姿が嫌だから」など、理由が分かれば、周囲はいくらでもケアの方法を考えることができます。本人の意向を尊重できます。

一つ極端な例え話をします。あなたの配偶者が「臓器提供は希望しない」と書いていたとします。そして、配偶者が脳死になったとして、子どもに臓器提供することが望まれる場面が起きたとします。あなたなら、どう考えるでしょうか? 「自分の子どもにならいいと本人も思うのでは?」「自分の子どもであっても嫌だと思う理由があるかも」など、様々な思いが巡ると思います。そこでもう一歩踏み込んで、本人がなぜ臓器提供を希望しないのか、という「理由」まで分かっていれば、より具体的に考えられると思います。単純に「〇〇の医療を希望する、しない」という「形」だけでなく、なぜそう思うのかという「価値観」を共有しておくことが大事なのです。

しかし、今の”終活ブーム”にしても、事前指示書にしても、その「価値観の共有」という部分は、すっぽり抜け落ちていると私は感じています。手間暇がかかるわりに、儲からないからだと思いますが。しかしそれでは、国民の医療に対する満足度、安心感は向上しないと思います。

事前指示書については、医療者の中では訴訟のための免責と考えている雰囲気が否めません。「事前指示書の記入は条例化すべきだ」などという意思の意見を聞いたこともありますが、それでは国民の医療界に対する反発、不信はますます強まると私は思います。事前指示書という「形」だけが走ると、ますます医療者と患者の溝が深まる、という個人的な危機感もありました。これは何とかしないといけないと思って、今回の記事に至ったのです。

その手助けとなるのが、紙面でも紹介した「Advance Care Planning(ACP)」です。ACPは「将来に備えて、今後の治療・療養についてあらかじめ話し合うプロセス」と定義され、自分が重篤な病気などになった時のために、どこでどのように過ごしたいか、大切にしているのは何か、どのような医療を受けたいか、受けたくないかなどを話し合う過程を意味します。本人の価値観を引き出していくプロセスに重点を置く新しいメソッドです。事前指示書は、ACPを行った結果として作られることもありますが、必須ではありません。ACPによって医師とのコミュニケーションが改善されたり、患者や家族の満足度が上がって遺族の不安や抑うつが軽減されることなどが報告されており、カナダやオーストラリア、台湾など、世界各地に広がっています。日本にACPが紹介されたのはここ数年のことですが、医療界では徐々に広がりつつあります。

私は、亀田総合病院(千葉県鴨川市)でACPを普及啓発するワークショップなどを行う医師らと出会い、可能性を感じて取材をさせて頂きました。

ACPはまだ始まったばかりですが、注目する人たちも増え、これから広がっていくと思います。ただ、人材育成や環境整備などのハードルは高いので、簡単ではないでしょう。

まずは私達国民も「自分のことは家族がいいようにやってくれる」なんて思わないで、積極的にどう最期を迎えたいのか、情報収集し、家族など大切な人達とそれを話し合うことが必要です。医療の「ヒト・モノ・カネ」は今後さらに厳しくなりますから、望むような死に方ができる時代ではなくなっていくと思います。「縁起でもない」なんて言っていたら、本当に縁起でもない亡くなり方しかできない厳しい時代が来ていると、私は思っています。