インタビュー

「スポーツ振興は最大の予防医療」

初回となる今号は、先日行われたロンドンオリンピックで日本選手団の本部ドクターを務めた、小松裕(こまつ・ゆたか)さんのインタビューです。小松さん は国民がスポーツに親しむことで、より心も体も健康になれると話します。スポーツという切り口が、普段関心のない医療の話にも興味を持ってもらえる一つの 架け橋になれそうだと思い、話を聞きました。(熊田梨恵)

―ロンドンオリンピックで日本は、金メダル7つを含む合わせて38個のメダルを獲得し、メダルの総獲得数では2004年のアテネ大会を上回って史上最多となりました。日本選手たちの頑張りに勇気付けられた市民も多かったと思います。小松先生は、日本選手団の本部ドクターとしてオリンピックに参加され、開会式でも一緒に歩いておられましたね。

3週間以上、ロンドンで選手たちに帯同してきました。選手たちの応援に行き、金メダル7つのうち6つの現場に居合わせました。どの選手も、本当に頑張っている姿を見てきたので、感慨深い思いです。

ロンドン五輪日本選手団本部ドクターの小松裕さん

ロンドン五輪日本選手団本部ドクターの小松裕さん

―スポーツドクターというと、選手たちが怪我や病気になったときに手当てをしているような姿が思い浮かびます。

「スポーツドクター」と一口に言っても色々います。地域で生涯スポーツに親しむ住民との関わりもあれば、私のようにオリンピック選手などトップアスリート に関わる医師もいます。怪我をした時のリハビリなど、多くの場面にスポーツドクターはいます。公認資格としても、日本体育協会、日本整形外科学会、日本医 師会と色々あります。でも、どんなスポーツドクターであっても目指すところは同じで、スポーツによって国民みなが心も体も元気になることを目標にしている と思っています。例えばオリンピックで日本選手がメダルを取ったりすると、見ていた人たちがスポーツをやりたいと思ったり、一生懸命に打ち込むことが素晴 らしいと思ったり、スポーツが身近になって裾野が広がると思います。大人になってからスポーツを始めるのは少しハードルが高いかもしれませんが、子どもの 頃からやっていたら、気軽に始められると思います。健康寿命が延びたり、地域のコミュニケーション、人を思いやる気持ちが養われたり、スポーツの価値を もっと感じてもらいたいです。「メダルをとって良かったね」というだけではなく、最終的に誰もがスポーツに親しめるようになれば、と思っています。

―小松先生の具体的なお仕事はどういうことでしょうか。

小松先生の具体的なお仕事はどういうことでしょうか。

ドクターというと白衣を着て、治療をしているようなイメージがありますよね。でも私たちトップアスリートを支えるスポーツドクターの場合、それは最低限であって、選手たちが怪我や病気にならないように日ごろのかかわりを通じて支え、心も体も万全の状態で試合や練習に臨めるお手伝いをすることが仕事です。医療面以外にも選手たちの環境や普段の雰囲気、日々の過ごし方など様々なところに目を配る必要があります。一般の方も同じだと思いますが、心も体もいい状態であって、よい結果が出せると思います。いい練習のためにもいいコンディションでいないといけませんから、そのために普段からどうするか考えます。オリンピック期間中の仕事なんてごく一部で、普段は国立スポーツ科学センターを拠点にして、クリニックで診察をしたり、選手たちの練習に一緒に参加したりもするんです。

―練習にまで参加するんですか?

最も大事なのは選手たちとの信頼関係なので、練習に参加してコミュニケーションすることもあります。ただ、距離感がとても大事で、親しい存在にならないといけないけど、なりすぎてもダメです。選手たちは礼儀正しいから声をかけたら丁寧に答えてくれますが、人によって、また同じ人でも時と場合によってはあまり他人に近づかれたくないときもあると思います。だから、「いる」ことを大事にして、近くにいても声はかけないようにしたりもします。信頼関係ができていれば、いつも近くにいると、ぽっと言葉が出てきたり、ふとクリニックを覗いてくれたりします。そこまでの関係を築けたら、私たちの仕事はほぼ終わったと言ってもいいのかもしれません。そのために、自分たちもチームの一員となって、選手たちと同じ目標を持ちます。たとえば私たちが「日本選手のドクターだ」などと優越感を持ったような姿を見せると、もう関係は築けません。それに選手だけでなく監督やコーチなどのスタッフとも良好な関係を築くことも大切です。時間はかかりますが、どんな競技のどんな選手にも同じように接することが大切です。

五輪開会前に説明を受けるドクター

五輪開会前に説明を受けるドクター

―試合の時だけでなく、普段からの長い付き合いがあってこそ、できるサポートなんですね。治療は仕事の一つに過ぎない、ということが分かります。

オリンピック選手村

僕たちにとっては試合中に怪我など何も起こらず、のんきに応援していられる、というぐらいの方が、達成感があります。もちろん、何かが起こったら対処します。今回も体操の山室光史選手が跳馬の着地で怪我をしました(*)。僕はその時彼に応急処置をし、彼がその後競技を続けられるか否かを判断しました。実際に彼は続けられない状態でしたが、医学面のみの判断ではないのです。彼がどれだけがんばってきて、チームにとって必要な存在であるか、監督やコーチの思い、国民からの期待、今後の選手としての活躍など、様々なことを総合的に考えて決断しないといけないのです。他の場合でも、例えば帰国しなければいけない怪我なら、時期はいつがいいのか、帰る時の交通の手配、帰国してからかかる医療機関の手配と担当医への連絡、記者発表をどうするか、などを短時間のうちに考えます。選手にとってのキーパーソンを把握しておき、適切な連絡と相談も大事です。何か起きた時は、こうしたマネジメントやコーディネート業務が主になります。コミュニケーション能力やバランス感覚、想像力や判断力が求められるので、医療の技術だけが高くても勤まりません。

*体操の山室光史選手は8月30日に行われた団体総合決勝の跳馬で着地の際に負傷して退場。日本オリンピック委員会によると全治約2カ月の診断。

―随分とレベルの高い業務を要求されるんですね。イメージは湧くのですが、具体的に普段はどんなことをされているんですか?

国立スポーツ科学センター(東京都北区)の中で、オリンピックだけでなくアジア大会、ユニバーシアード大会などの大会前や定期的なメディカルチェックがあれば午前に、午後は内部のクリニックで内科の外来をしています。アンチドーピングに関することなど、様々な事務的な仕事もあります。センターに常勤医は、管理職も含めて内科医が4人、整形外科医が4人。非常勤で婦人科や眼科、皮膚科、歯科の医師も来ますし、MRIも2台あります。ここはオリンピック強化指定選手、競技団体の強化指定選手など日本のトップアスリート約4000人が対象です。彼らは日中ここで練習をしたり、合宿練習に来たりするので、調子が悪いと思ったときに町医者感覚で来てもらえます。選手は大体トレーニングで忙しいので、昼休みなど合間を縫って来られるのが便利です。またここは保険診療ではないので(選手は医療費の3割を自己負担、残りはセンターの予算)、一般の病院では期間に制限のあるリハビリも、選手のためにしっかりと行っていけます。
ちなみにオリンピックに派遣される医師はJOCが決めるのですが、今回は5人中3人がここの医師です。選手たちの知った顔がいるということが大事ということでしょう

―オリンピックで医師たちはどんなことをするのですか?

オリンピック期間中は、選手村の日本選手団宿舎の中に本部医務室を設営します。あらかじめ申請をしたうえで、あらゆる医薬品や医療器材を持ち込んで大概の事態に対処できるようにします。精密な検査が必要な場合には、オリンピックの選手村中に設置された「ポリクリニック」を利用します。これは最新の医療設備を備えた病院です。ロンドンではMRI2台、CT1台を備え、各科の専門医もいて、ずいぶん力が入っているなと感じました。開会式前日には、各国の医師を集めたミーティングがあり、何かあった場合の対応の方法などが伝えられました。僕は日本選手のメディカルサポートを統括していましたから、各競技団体のメディカルスタッフと連携をとりながら、さまざまな医療情報を伝えたり、競技の現場にもなるべく顔を出して選手の近くにいるようにしました。試合中はチームのみんなと一緒になって、頑張れと大きな声で応援してます。選手たちがドクターの言葉にとらわれてしまわないように、「頑張れ!」「大丈夫だ!」といった言葉をかけるようにします。

日本選手団宿舎内の本部医務室

―選手たちはどれぐらい病気や怪我などになるものなのでしょうか。

選手たちの部屋に冷房が付いていると風邪の訴えが多く、普段は大体3~4割はあるのですが、ロンドンは気候が涼しかったので少なかったです。ほかに下痢、皮膚科や眼科的な疾患です。今回はおそらく芝生が原因で、花粉アレルギーに似た症状の出た選手がいたので、注意喚起する情報も流しました。98年にタイ・バンコクで開かれたアジア大会では水道水の中にまで大腸菌がいたので、発熱や下痢を起こした選手がたくさんいました。歯磨きもミネラルウォーターの使用を勧めたり、サラダにも気をつけるよう促したり、サルモネラ菌や大腸菌などに関する情報を提供することも大切です。

―先生の関わっていた選手たちの活躍はいかがでしたか?

どの選手も私にとっては感慨深いのですが、女子レスリングの伊調馨選手の姿が印象に残っています。試合前に捻挫をして、相当痛かったと思います。しかし、直前にそういうアクシデントが起きても動じることなく、試合に集中し、どうすべきかを考える。彼女の周りのスタッフもそうでしたが、決して慌てたり騒いだりせず、金メダリストとはそういうものなのだと思いました。

体操競技の金メダリスト内村航平選手(右)

内村航平選手(*)については、団体予選で鉄棒やあん馬から落ちたり、げっそりしていて体調が悪そうだったりして、周りからも彼は大丈夫かと聞かれました。でも実際、彼は体調もよくいつも通りだったんです。でも、僕があまり見たことない姿になったのがなぜかと思っても分からないし、本人も「分からない」と言っていました。少し思ったのは、彼は普段から「自分の演技をする」ということに集中しているのに、「団体金メダル」ということを大きく意識し過ぎたのかもしれない、ということです。本来彼にとって団体で金メダルを取るというのは結果論ですし、メダル獲得にはほかの要素も多く絡んできます。しかし、最初からそこにこだわり過ぎて、いつも通りの自分の体操ができなかったのかなと。彼は団体で銀メダルを取った時に、表彰台の上でも笑わず「正直4位でも2位でもあまり変わらなかったかなと思います」とコメントしましたね。普通なら、「金メダルを取れなかったけど、銀メダルでよかった」と言うのが適当な場面でしょう。その発言や態度への非難もあったようですが、僕は正直でいいなと思ったので、そう彼に伝えました。すると彼から、あれだけ金メダルに向けて頑張っていたので、周りにチームメイトがいて気遣うべき場面だとは分かってはいたけれど、正直な気持ちを言った、と話してくれました。競技の不振も憮然とした態度も、金メダルへの思いが強過ぎたからこそ、だったのでしょうね。でも彼がすごいのは、その後にぱっといつもどおりの彼に戻って競技をし、個人総合で金メダル、個人種目別ゆかで銀メダルを得たことです。その時には自分が満足する演技ができたのであの笑顔になったんだと思います。

*ロンドン五輪第4日(30日)体操男子団体総合決勝。日本は一旦は4位と発表されたが、抗議が通り銀メダルを獲得した。金メダルは中国。銅メダルはイギリス。内村航平選手は団体や個人種目別ゆかで銀メダル、個人総合で金メダル。

―オリンピックで、他にドクター独特の活動はありますか?

アンチドーピングに関するサポートも大切です。選手たちへの教育も大事ですが、日本の選手は普段から心がけているので、“うっかりドーピング”にならないよう伝えています。一般の医師もドーピングについての知識がない場合もあるので、選手が病院から私の携帯電話に連絡してきて、処方される薬がドーピングにならないかどうかを確認されることもあります。
オリンピック期間中にはドーピング検査に付き添います。本来、付き添いは必要ないのですが、大会期間中は心の状態がすごく大事です。検査に慣れていても、不当な扱いを受けたり、長時間拘束されたりすると心の状態を乱されます。そうならないよう、選手の立場を守るために付き添うのです。オリンピックでは、「これからドーピング検査をします」と突然言われ、検査場に来るよう通告されます。でも、選手はそれぞれ考えていたスケジュールがあるかもしれないし、すぐに向かってもおしっこが出ないかもしれません。慣れていない選手だと、言われるままに出かけてしまって、検査場で焦ったり、落ち着かなくなったりすることがあります。そこで私が選手の代わりに事情を伝えたり、検査場でも気持ちが落ち着くように一緒に話したり、書類記入を手伝ったりします。ドーピング検査は厳正に行われるので、ただの尿検査ではありません。自分の尿が出ているところを検査官が目視し、選手は尿を採ってボトルに封をするまでを自分で行います。その後に書類を書きますが、選手が疲れ切っていたりすると何かミスをしてしまうかもしれないので、間違わないようにサポートします。

水泳競技の会場

―オリンピック選手たちが凱旋した銀座でのパレードには、驚くほど多くの人たちが集まり、国民のオリンピックやスポーツに対する関心の高さが伺えました。日常的にスポーツをするようになると、自然と自分の体調や健康管理に関心が向かいますし、普段考えなかったような医療のことも考えたりすると思います。スポーツが、国民と医療の架け橋になり、国民全体の健康に寄与する可能性があるのではないかなと思っているのですが。

本部医務室で五輪選手を診察

本部医務室で五輪選手を診察

大切なのは、「病気を知ろう」ではなくて、「自分の体を知ろう」ということです。スポーツ選手へのサポートも基本はそこで、「自分の体のコンディションが良くて初めてよい戦いができる」ことを気づいてもらうのが一番の役割だと思っているんです。それはスポーツ選手だけでなく、一般の方でも同じでしょう。
病気を治すことが医師の仕事だと思われていると思います。僕も以前はそう思っていたし、今もそう教えられていると思うので、若い学生や医師たちはあまり予防に意識が向かないかもしれません。でも今は、医師が目指すのは、食事や精神面、環境などの面で普段から市民に関わり、病気や怪我にならないようにすることだと思います。医師が「こんな病気になったら怖いよ」というのは簡単ですが、ある意味“脅し”とも言えるかもしれませんし、それだけでは患者に「病気は絶対に治せるもの」「ならずにすむもの」と勘違いさせ、医療への依存を起こさせてしまいます。でも誰しも年をとるし、老いたら病気になります。年をとったら死ぬのが自然ですが、今の世の中はそれを受け入れられないような雰囲気がどこかにあります。そこを受け入れられるようにならないと、世の中は進歩しないと思いますし、そこを手伝うのも医師の仕事ではないかと思うんです。試合直前に起こった捻挫を受け入れた伊調選手のように、何か妨害されることが起こっても、それを受け入れる。自然に受け入れていくという姿を、もっと医療者も伝えていくべきだと思っています。

―あるがままの生を受け入れると姿勢を、身に付けるきっかけをスポーツから学ぶかもしれないのですね。

 スポーツ振興は大きな予防医療になると思うんです。予防医療というと健診などになってしまうと思うし、それで予算は取れないと思います。でも「医療」という言葉にとらわれないで、スポーツが身近になることで自然に健康に意識が向き、医療のことも考えるようになる。心も体も健康に、皆が幸せに暮らすということに繋がっていくこと。それが医学の目標でもあるし、世の中の目標でもあるのではないかと思います。

小松裕(こまつ・ゆたか)

国立スポーツ科学センター スポーツ医学研究部副主任研究員、医学博士
1961 年長野県生まれ、86年に信州大医学部卒業後、日本赤十字社医療センター、東京大学第二内科、関東中央病院、JR東京総合病院、東京大学消化器内科などを 経て、2005年から現職。野球、ソフトボール、体操、レスリングなどの世界大会にチームドクターとして数多く帯同。オリンピックは96年のアトランタか ら、12年のロンドンまで5大会連続、ワールドベースボールクラシックは06年、09年、ほか各競技の世界選手権、ユニバーシアード競技大会など、国際大 会への帯同歴40回以上。
著書 いつも「本番に強い人」の心と体の習慣(日本文芸社)